2022.12.26
『子ども時間』とは私の思いが詰まった言葉です。
よくわからない閉塞感やイライラやモヤモヤの中に、たまに楽しい嬉しいことがあればラッキーくらいの時期もありますよね。
子どもがいて幸せなはずなのに、この抱えている気持ちを持て余す時がある。
死んだようにして生きつないでいた時期がわたしにもあります。
(わたしって怒ったりするんだ)と自分で驚いたのは、第二子出産間近、第一子1才6ヶ月の時でした。買い物先から娘の手をぐいぐい引っぱって帰ってきたのを今でも思い出します。
子どもの存在はわたしという人間がどんな人間かをまざまざと教えてくれ、わたしは自分の姿に苦々しい思いをし、お陰でそこから学び育つことができたと思います。大人のわたしの中にも変わりたい成長したいという自分があると気づきます。子どもの頃にしてほしかったけどしてもらえなかったことを思い出したりもします。大人の『子ども時間』です。
主に、わたしを苦しめているものは「わたし」です。
「正しさ」や「~べき」という考えでは、もうこれからの「誰も」縛れないし幸せになれないし幸せにもできないのだろうと思います。子どもに対しても、パートナーに対しても、そして自分に対しても「決めつけ」や「完璧主義」を手放して、「本当はどうなんだろう」「どうしたいんだろう」「何を感じているんだろう」「何が快適なんだろう」と、お互いを認め合い、楽に深呼吸できる方法や暮らしを一緒に探していく。そういう生き方があるよとわたしの子育ては教えてくれました。
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